一之宮
小野神社 東京都多摩市鎮座 (延喜式内論社・旧郷社)
祭神:天下春命 配 瀬織津比v 伊弉冉尊 素戔嗚尊 大己貴大神 瓊瓊杵尊 彦火火出見尊 倉稻魂命
延喜式神名帳に載る古社。
主神の天下春命(あめのしたばるのみこと)は饒速日命(にぎはやひのみこと)が河内国に降臨した際供奉したという。
また、八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)の御子神といわれ、知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)の祖神にもあたる。
※八意思兼命・知知夫彦命は共に四之宮 秩父神社の御祭神。
小野神社の創始は安寧天皇18年2月。または8世紀中頃の説もある。
記録としては、光孝天皇元慶8年(884)に正五位上に神階が進められたというものが残っており、延喜式神名帳には小社として記載がある。
武蔵国多摩郡の小野牧は陽成上皇の御料牧であったが、承平元年(931)に敕旨牧に編入された。
小野牧を経営、別当に任じられていた小野氏の氏神が小野神社である。
小野氏は時代を経て、武蔵七党の横山党になっていったとされる。
なお、大国魂神社では現在多摩市鎮座の小野神社を一之宮として認定しているが、延喜式内論社として他にもう一つ小野神社がある。
これは東京府中市に鎮座する小野神社である。
小野神社 府中市鎮座 (延喜式内論社・旧郷社)
祭神:天下春命 瀬織津比賣命
祭神は多摩市の小野神社と同じ天下春命である。
また、瀬織津比賣命(せおりつひめ)が祀られていることも同じ。
※多摩市の小野神社では瀬織津比v(せおりつひめ)。
小野神社は多摩川が何度もその流れる筋を変えており、洪水も頻繁に起こっていたため何度か流されたらしい。
そして、新たに祀り直されたりしているうちに、どちらが元か不明になったと言われている。
ただ、よくよく調べてゆくと、どうも小野宮の小野神社の方が、本来の小野神社ではないかという説もある。
この点、また調べているので、別の機会に述べることにする。
なお、多摩川はその流れを何度も変えているようで、時代によりもっと北を流れていたこともあるようだ。
というのは、ハケ下を流れる府中用水・市川(現在は道路下に。第3小学校の前を通る遊歩道の下である)は、昔の多摩川の流水路というのがもっぱらの説である。
このあたり、ハケ下で一段低くなっており、昔多摩川が頻繁に流路を変えたことは想像に難くない。
しかしこの市川沿いは、ハケ下でも比較的土地が低くなり、浅いながらも谷を形成しているという。
このあたりを多摩川が流れていたとき、分倍河原はまさに河原だったわけである。
また、中河原は多摩川の南岸になっていたそうで多摩川の流路の変遷を伺わせる。
ちなみに中河原の地名は、浅川と多摩川に挟まれた河原だったからだということらしい。
また、小野郷の一之宮は、元は雷神を祭っていたという話がある。
宝亀3年の12月19日太政官符に出てくる話だ。
正倉が落雷によって焼けたという事件があり、これについて占いを実施したという。
占いによると、3つの神社に対する朝廷の奉幣が衰えたから、祟ったのだと。
この、祟ったとされる雷神を祭る神社のひとつに小野郷の小野神社がでており、古い時代には雷神を祭った社であった可能性がある。
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